Vol. 31 (2023/7/11)
下北半島原子力施設巡り
6月20日、青森市で講話をする機会がありました。
テーマは、「原子燃料サイクル三点セット六ヶ所村立地の経緯」でした。
20日の昼に昼食をとったお店に、嬉しいことに、日本原子力文化財団が制作を担当している資源エネルギー庁のパンフレット“さいくるアイ”が置いてありました。
<“ごらんあれが大間岬”…関心を呼んだ余談>
講話は午後でした。
その中で、一つの余談を話しました。本論以上に関心をよんだようです。
それは、歌手石川さゆりが歌う“津軽海峡冬景色”の歌詞のことです。この歌の作詞家・阿久悠さんが次のようなことを言っています。
「北海道から青森に船で下ると、先ず見えるのは大間岬だ。だから、はじめは、“ごらんあれが大間岬”としようと思った。しかし、竜飛岬の方が“ゴロ”が良いので、“ごらんあれが竜飛岬”とした」と。
場合によると、私たちはカラオケで“ごらんあれが大間岬”と歌っていたかもしれないのです。
この機会を使って翌日、翌々日と一日半をかけて、下北半島原子力施設巡りをしました。総延長およそ270キロメートル超の長旅でした。
<ハマナス・ライン>
朝、ホテルを出発し、野辺地を経由して国道279号を北上しました。この道は、“ハマナス・ライン”と呼ばれています。“ハマナス”は、雅子皇后のお印の花です。嬉しい道をとおったわけです。
<横浜町で“ナマコ”が、大畑港で“イカ”がとれなくなっている!>
ハマナス・ラインを北上する途中、横浜町を通ります。
むつ湾を西に臨む横浜町は“菜の花畑”で知られています。ここ横浜町は“なまこ”が名産でした。しかし、この頃では、ナマコが少なくなっていると聞きました。
むつ市から大間町への道は右側に津軽海峡を臨みます。
途中通った大畑港はかっては八戸と並んで“イカ漁の港”で、夜はイカ釣り船の“漁火”が見えました。ところが八戸同様、ここ大畑でも今では、“イカ”がとれなくなってきているようです。
こうした現象はおそらく地球温暖化の影響による海況の変化だろうと思いました。温暖化の影響が身近なところにも表れていると痛感しました。
<原子力発電施設を訪問>
下北半島の原子力発電施設訪問では、一日目:電源開発㈱大間原子力建設所、東京電力・東北電力の東通原子力発電所、むつ市・原子燃料リサイクル貯蔵㈱、そして二日目:日本原燃㈱六ヶ所村原子燃料サイクル三点セット施設を訪ねました。なかなかの強行スケジュールでした。
(出典:東北電力)
以下、訪問した原子力施設について報告します。
<大間原子力建設所>
大間町は、下北半島の最北西端にある人口四千人ほどの町です。
マグロの一本釣りで広く知られています。
大間原子力発電所の開発は電源開発㈱悲願のプロジェクトです。
同社は、昭和40年代に高温ガス炉、50年代にカナダのCANDU炉の導入を構想しましたが、いずれも実現しませんでした。
そして、現在の改良型沸騰水型軽水炉ABWR(燃料:フルMOX、電気出力:138.3万KW)の建設を進めることになり、今に至っています。
(出典:電源開発㈱)
大間原子力発電建設所は、1976(昭和47)年に計画をし、2008(平成15)年5月に建設に着手しました。それ以来、15年が経っています。2011年の東日本大震災による電力需要の低迷や新規制基準の対応の影響を受けて、竣工が遅れています。原子炉圧力容器はできていて、広島県“呉市”にあるメーカーの工場に保管されているということです。
ここ大間の建設所では、厳しい冬の季節にも、関連会社を含めて300名を超える大勢の人たちが仕事をされています。その内、3割の方々は地元の人たちだということでした。
現在、大間原子力建設所の皆さんは町民の皆さんの各戸訪問をされていると伺いました。
大間原子力発電所は21世紀のこれから重要な発電源になること間違いありません。
<使用済原子燃料中間貯蔵施設>
次に訪問したのは、使用済原子燃料の中間貯蔵施設:むつリサイクル燃料貯蔵株式会社です。この会社は東京電力と日本原子力発電とが共同で2005(平成17)年に設立しました。会社設立以来、既に18年が経っています。
(出典:リサイクル燃料貯蔵㈱)
120㌧もする巨大な容器(キャスク)に、69体の使用済燃料を入れます。およそ50年間貯蔵保管をする予定です。既に出来上がっていて、地域の皆さんとも良好な関係をつくっています。
<地元むつ市に貢献大きい使用済原子燃料中間貯蔵施設>
使用済原子燃料中間貯蔵施設は、むつ市や青森県の財政に貢献をしています。
ちなみに、2022年度に収めた主な税金は、むつ市への固定資産税や青森県への事業税など合計1億数千万円に及びます。この他、法人住民税などもありますから、地元への貢献度は少なくありません。
<東通原子力発電所>
下北半島の北東・太平洋に面した地の北側に東京電力、南側に東北電力が原子力発電所を立地しています。広大な敷地で、東京電力450万㎡、東北電力358万㎡です。
・東京電力
ここでは、138.5万KWのABWR二基を建設する計画です。
一基目は2011年1月に着工しています。
・東北電力
ここでは、110万KWのBWRが2005年に稼働を始めています。 ただ、現在は稼働していませんで、職員を女川原子力発電所に送って 研修を受けてもらっているということでした。
むつ市のホテルで一泊しました。
翌22日朝早くむつ市のホテルを出て、六ヶ所村にある日本原燃へ向かいました。
<六ケ所村…原子燃料サイクル三点セット>
六ヶ所村は東通村の南に隣接しています。
国道338を南へ下って、六ヶ所村に入りました。白糠港、六ヶ所村の集落・泊をとおりました。
六ヶ所村は40年ほど前までは青森県の中で最も貧しいところでした。ところが、現在では県内で一、二の豊かなところになっています。
<再処理工場では5千人超の人が作業をしていました>
続いて、日本原燃本社・六ヶ所再処理工場を訪ねました。
訪ねた22日には、驚くことに7千人を超える人たちが作業のため工場に出入りしていました。六ヶ所村の人口が約一万人ですから、工場で働く人たちの人数の多さが分かります。
<原子燃料サイクル三点セット…今では五点セットに>
ところで、日本原燃㈱は、六ヶ所村のむつ小川原開発地域に750ヘクタールの敷地を擁しています。東京の山手線の内側の面積が6,300ヘクタールですからその広さが分かります。
実は、これまでは、日本原燃㈱の営む低レベル放射性廃棄物埋設(最終処分)、ウラン濃縮、使用済原子燃料再処理の三事業を原子燃料サイクル三点セットと呼んできました。
しかし、今では、ここ六ヶ所村では、使用済原子燃料を再処理した後に出てくる高レベル放射性廃棄物貯蔵管理業務を「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」で行っています。また、ウランとプルトニュウムの混合燃料:MOX燃料工場も近く竣工しますので、これからは三点セットではなく、五点セットと呼ぶのが適切かもしれません。
(出典 日本原子力文化財団「原子力・エネルギー図面集」)
<21世紀のこれから…設備竣工で全国の原子力施設から頼られる六ヶ所工場>
38年前、地元の県と村は三点セットを立地させてほしいという電気事業からのお願いに対して好意的に受け入れをしてくれました。
強く言えば、県も村も設備の立地を求めていたと言ってよいと思います。
ところが、設備の建設が進み、三点セット設備が竣工してくると、立場が逆転します。
これからは、全国各地の原子力発電所が、ここ六ヶ所村に使用済み燃料を運び込んで再処理してもらい、新たに生まれたプルトニュウムを原料としたウラン・プルトニュウム混合のMOX燃料を利用するようになります。つまり、原子力発電所側が、六ヶ所の再処理やMOX工場のサービスに頼るようになるのです。低レベルの放射性廃棄物が入ったドラム缶は、すでに、ここ原燃六ヶ所の埋設設備に運び込まれて、埋設されています。濃縮ウランもここ六ヶ所工場でつくられたものが原子燃料ペレットの原料として各地の原子力発電所で使われ始めています。 このように、21世紀のこれからは、ここ六ヶ所村の日本原燃㈱の原燃サイクル施設のサービスや製品を全国各地の原子力発電所が必要とすることになるわけです。
<先人を思う>
40年近く以前、先人の北村正哉青森県知事、古川伊勢松六ヶ所村村長さんたちはこうした状況を期待しておられたに違いないと、改めて気づくわけです。
テーマは、「原子燃料サイクル三点セット六ヶ所村立地の経緯」でした。
20日の昼に昼食をとったお店に、嬉しいことに、日本原子力文化財団が制作を担当している資源エネルギー庁のパンフレット“さいくるアイ”が置いてありました。
<“ごらんあれが大間岬”…関心を呼んだ余談>
講話は午後でした。
その中で、一つの余談を話しました。本論以上に関心をよんだようです。
それは、歌手石川さゆりが歌う“津軽海峡冬景色”の歌詞のことです。この歌の作詞家・阿久悠さんが次のようなことを言っています。
「北海道から青森に船で下ると、先ず見えるのは大間岬だ。だから、はじめは、“ごらんあれが大間岬”としようと思った。しかし、竜飛岬の方が“ゴロ”が良いので、“ごらんあれが竜飛岬”とした」と。
場合によると、私たちはカラオケで“ごらんあれが大間岬”と歌っていたかもしれないのです。
この機会を使って翌日、翌々日と一日半をかけて、下北半島原子力施設巡りをしました。総延長およそ270キロメートル超の長旅でした。
<ハマナス・ライン>
朝、ホテルを出発し、野辺地を経由して国道279号を北上しました。この道は、“ハマナス・ライン”と呼ばれています。“ハマナス”は、雅子皇后のお印の花です。嬉しい道をとおったわけです。
<横浜町で“ナマコ”が、大畑港で“イカ”がとれなくなっている!>
ハマナス・ラインを北上する途中、横浜町を通ります。
むつ湾を西に臨む横浜町は“菜の花畑”で知られています。ここ横浜町は“なまこ”が名産でした。しかし、この頃では、ナマコが少なくなっていると聞きました。
むつ市から大間町への道は右側に津軽海峡を臨みます。
途中通った大畑港はかっては八戸と並んで“イカ漁の港”で、夜はイカ釣り船の“漁火”が見えました。ところが八戸同様、ここ大畑でも今では、“イカ”がとれなくなってきているようです。
こうした現象はおそらく地球温暖化の影響による海況の変化だろうと思いました。温暖化の影響が身近なところにも表れていると痛感しました。
<原子力発電施設を訪問>
下北半島の原子力発電施設訪問では、一日目:電源開発㈱大間原子力建設所、東京電力・東北電力の東通原子力発電所、むつ市・原子燃料リサイクル貯蔵㈱、そして二日目:日本原燃㈱六ヶ所村原子燃料サイクル三点セット施設を訪ねました。なかなかの強行スケジュールでした。
(出典:東北電力)
以下、訪問した原子力施設について報告します。
<大間原子力建設所>
大間町は、下北半島の最北西端にある人口四千人ほどの町です。
マグロの一本釣りで広く知られています。
大間原子力発電所の開発は電源開発㈱悲願のプロジェクトです。
同社は、昭和40年代に高温ガス炉、50年代にカナダのCANDU炉の導入を構想しましたが、いずれも実現しませんでした。
そして、現在の改良型沸騰水型軽水炉ABWR(燃料:フルMOX、電気出力:138.3万KW)の建設を進めることになり、今に至っています。
(出典:電源開発㈱)
大間原子力発電建設所は、1976(昭和47)年に計画をし、2008(平成15)年5月に建設に着手しました。それ以来、15年が経っています。2011年の東日本大震災による電力需要の低迷や新規制基準の対応の影響を受けて、竣工が遅れています。原子炉圧力容器はできていて、広島県“呉市”にあるメーカーの工場に保管されているということです。
ここ大間の建設所では、厳しい冬の季節にも、関連会社を含めて300名を超える大勢の人たちが仕事をされています。その内、3割の方々は地元の人たちだということでした。
現在、大間原子力建設所の皆さんは町民の皆さんの各戸訪問をされていると伺いました。
大間原子力発電所は21世紀のこれから重要な発電源になること間違いありません。
<使用済原子燃料中間貯蔵施設>
次に訪問したのは、使用済原子燃料の中間貯蔵施設:むつリサイクル燃料貯蔵株式会社です。この会社は東京電力と日本原子力発電とが共同で2005(平成17)年に設立しました。会社設立以来、既に18年が経っています。
(出典:リサイクル燃料貯蔵㈱)
120㌧もする巨大な容器(キャスク)に、69体の使用済燃料を入れます。およそ50年間貯蔵保管をする予定です。既に出来上がっていて、地域の皆さんとも良好な関係をつくっています。
<地元むつ市に貢献大きい使用済原子燃料中間貯蔵施設>
使用済原子燃料中間貯蔵施設は、むつ市や青森県の財政に貢献をしています。
ちなみに、2022年度に収めた主な税金は、むつ市への固定資産税や青森県への事業税など合計1億数千万円に及びます。この他、法人住民税などもありますから、地元への貢献度は少なくありません。
<東通原子力発電所>
下北半島の北東・太平洋に面した地の北側に東京電力、南側に東北電力が原子力発電所を立地しています。広大な敷地で、東京電力450万㎡、東北電力358万㎡です。
・東京電力
ここでは、138.5万KWのABWR二基を建設する計画です。
一基目は2011年1月に着工しています。
・東北電力
ここでは、110万KWのBWRが2005年に稼働を始めています。 ただ、現在は稼働していませんで、職員を女川原子力発電所に送って 研修を受けてもらっているということでした。
むつ市のホテルで一泊しました。
翌22日朝早くむつ市のホテルを出て、六ヶ所村にある日本原燃へ向かいました。
<六ケ所村…原子燃料サイクル三点セット>
六ヶ所村は東通村の南に隣接しています。
国道338を南へ下って、六ヶ所村に入りました。白糠港、六ヶ所村の集落・泊をとおりました。
六ヶ所村は40年ほど前までは青森県の中で最も貧しいところでした。ところが、現在では県内で一、二の豊かなところになっています。
<再処理工場では5千人超の人が作業をしていました>
続いて、日本原燃本社・六ヶ所再処理工場を訪ねました。
訪ねた22日には、驚くことに7千人を超える人たちが作業のため工場に出入りしていました。六ヶ所村の人口が約一万人ですから、工場で働く人たちの人数の多さが分かります。
<原子燃料サイクル三点セット…今では五点セットに>
ところで、日本原燃㈱は、六ヶ所村のむつ小川原開発地域に750ヘクタールの敷地を擁しています。東京の山手線の内側の面積が6,300ヘクタールですからその広さが分かります。
実は、これまでは、日本原燃㈱の営む低レベル放射性廃棄物埋設(最終処分)、ウラン濃縮、使用済原子燃料再処理の三事業を原子燃料サイクル三点セットと呼んできました。
しかし、今では、ここ六ヶ所村では、使用済原子燃料を再処理した後に出てくる高レベル放射性廃棄物貯蔵管理業務を「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」で行っています。また、ウランとプルトニュウムの混合燃料:MOX燃料工場も近く竣工しますので、これからは三点セットではなく、五点セットと呼ぶのが適切かもしれません。
(出典 日本原子力文化財団「原子力・エネルギー図面集」)
<21世紀のこれから…設備竣工で全国の原子力施設から頼られる六ヶ所工場>
38年前、地元の県と村は三点セットを立地させてほしいという電気事業からのお願いに対して好意的に受け入れをしてくれました。
強く言えば、県も村も設備の立地を求めていたと言ってよいと思います。
ところが、設備の建設が進み、三点セット設備が竣工してくると、立場が逆転します。
これからは、全国各地の原子力発電所が、ここ六ヶ所村に使用済み燃料を運び込んで再処理してもらい、新たに生まれたプルトニュウムを原料としたウラン・プルトニュウム混合のMOX燃料を利用するようになります。つまり、原子力発電所側が、六ヶ所の再処理やMOX工場のサービスに頼るようになるのです。低レベルの放射性廃棄物が入ったドラム缶は、すでに、ここ原燃六ヶ所の埋設設備に運び込まれて、埋設されています。濃縮ウランもここ六ヶ所工場でつくられたものが原子燃料ペレットの原料として各地の原子力発電所で使われ始めています。 このように、21世紀のこれからは、ここ六ヶ所村の日本原燃㈱の原燃サイクル施設のサービスや製品を全国各地の原子力発電所が必要とすることになるわけです。
<先人を思う>
40年近く以前、先人の北村正哉青森県知事、古川伊勢松六ヶ所村村長さんたちはこうした状況を期待しておられたに違いないと、改めて気づくわけです。
理事長 桝本 晃章