月刊誌 原子力文化 インタビュー

原子力文化2021年10月号 対談(抜粋)

パンデミックから考える日伊比較文化(上)
― 日本と伊は統一まで各地域は自治国家だった ―

イタリアのイメージといえば、ピザやパスタといった豊富な食文化、 ルネッサンスの文化、ベネチアやローマなどの遺跡巡りなどが上げられるでしょう。 しかし、その地域性や多様性は日本と比較しても興味深いものがあります。 今月と来月の2回に渡って、日伊の比較をイタリア在住の長いヤマザキマリさんと、豊田有恒さんに お話し願いました。

作家
豊田 有恒  氏 (とよた・ありつね)

群馬県生まれ。島根県立大学名誉教授。1962年SF作家としてデビュー後、手塚治虫の虫プロで「鉄腕アトム」などのシナリオも手掛けた。歴史学・考古学から韓国・北朝鮮、エネルギー問題まで幅広い分野で執筆活動を続けている。「一線を越えた韓国の反日」、「韓国は、いつから卑しい国になったのか」、「日本アニメ誕生」など著書多数。最新刊に「ドイツ見習え論が日本を滅ぼす」(川口マーン惠美との共著)がある。

漫画家・文筆家
ヤマザキマリ  氏 (やまざき・まり)

東京都生まれ。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年「テルマエ・ロマエ」で第3回漫画大賞受賞。第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。15年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に「プリニウス」(とり・みきと共著)、「オリンピア・キュクロス」、「国境のない生き方」、「ヴィオラ母さん」、「生贄探し」(中野信子との共著)。最新刊に「ムスコ物語」がある。

 

豊田
私が最初にイタリアを意識したのは、戦後、映画を観たときです。
その前提として、そのころのお話をすると、1945年3月10日の東京大空襲のときに、私は小学校に入る年でした。群馬県の前橋市ですが、父親が病院を開業していて、その屋上から100キロ南を見たら真っ赤なのですよ。

 

 

ヤマザキ
100キロも南が見えるのですか。

 

 

豊田
ええ。100キロ離れているにもかかわらず、南の空が真っ赤になっているのです。それが記憶に残っています。その後、前橋の小学校に入学はしたのですが、疎開していました。うちの病院も爆撃されて、つぶれてしまいました。
記憶では、病院の診察台の鉄の部分だけ焼け残っていました。それでも一応診察台の形はしていました。そこに座ぶとんを置いて父親が診察していたのを覚えています。瓦礫の山で、小学校3、4年生まで、うちは片付かなかったです。
そして、そのころ観た映画がイタリア映画の「自転車泥棒」(1950年日本公開)です。映画に映る背景が瓦礫の山になっているじゃないですか。「あ、うちと同じだ。こういう国があるんだ」と。イタリアも日本と同じだったのです。
私が疎開から帰ってきたとき前橋市は焼け野原でした。でも、バラックはすぐ建ちましたが、ブルドーザーなどない時代だったので、うちの病院跡は、数年は、そのままでした。イタリアも大変だったですね。

 

 

ヤマザキ
イタリアは、例えばシチリア島に行くと、パレルモ市内などは第二次世界大戦で爆撃されたそのままの状態が、経済的な理由で何十年間も放置されていたりします。ですから今を生きている人も、爆撃がつい70年前にあったことを、常々考えながら生きています。それどころかイタリアには、紀元前から始まった歴代の戦争の跡が至る場所に当たり前に残っています。逆に日本では老畜したものはすぐに修復され、作りかえられる傾向が強いですね。

 

(一部 抜粋)





2021年10月号 目次

 

風のように鳥のように(第142回)
あなたの家にも?/岸本葉子(エッセイスト)

対談
パンデミックから考える日伊比較文化(上)/ヤマザキマリ(漫画家・文筆家)×豊田有恒(作家)

世界を見渡せば(第10回)
「プロ・ライフ」派は本当に「ライフ」を優先しているか?/関美和(翻訳家・杏林大学外国語学部准教授)

特別インタビュー
事故の経験を活かしたワクチン接種とは/坪倉正治(福島県立医科大学主任教授)

中東万華鏡(第67回)
復讐の梟/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第106回)
大企業の風格は森にありました/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

ドイツでは、今(第40回)
混沌のアフガニスタン/川口マーン惠美(作家)

温新知故(第31回)
卑弥呼はヤマトの前方後円墳に眠る?/斉藤孝次(科学ジャーナリスト)

交差点




 

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