月刊誌 原子力文化 インタビュー

原子力文化2021年07月号 インタビュー(抜粋)

「はやぶさ2」の軌跡に思いを馳せる
― それは内之浦の飲み会から始まった ―

「何もかもから解き放たれて、自由な気持ちになれるのは、宇宙を想像しているときだけかもしれない」と宇宙工学者の的川泰宣さん。
コロナ禍に覆われた鬱陶しい地球から、「はやぶさ2」は再び小惑星を目指して飛んでいます。
その軌跡に思いを馳せるのは、真夏の夜の楽しみなのかもしれません。   

宇宙航空研究開発機構名誉教授
はまぎん こども宇宙科学館館長

的川 泰宣  氏 (まとがわ・やすのり)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授、日本学術会議連携会員、国際宇宙教育会議日本代表。東京大学大学院博士課程修了。同宇宙航空研究所、宇宙科学研究所教授・鹿児島宇宙空間観測所長・対外協力室長、JAXA執行役を経て現職。工学博士。ミューロケットの改良、数々の科学衛星の誕生に活躍。1980年代はハレー彗星探査計画に尽力。2005年JAXA宇宙教育センターを設立し初代センター長。 著書『人類の星の時間を見つめて』など。映画「はやぶさ/HAYABUSA」の的場泰弘(キャスト:西田敏行)のモデル。

―― 「はやぶさ2」は、今どのくらい地球から離れましたか。

地球から1億キロをもう超えましたね。1億1000万キロは飛んでいるかどうか……。
小さな小惑星に向かっています。今回は行くだけです。写真を撮るだけですね。今は写真でもいろいろなことがわかるらしくて……。イメージサイエンスという言葉があるらしいですが、イメージだけでも科学はできるということです。

―― 宇宙空間はかなり厳しい空間で、宇宙線も激しいし、「はやぶさ2」自体の劣化は大変なものだと思いますが。

経年劣化以外は、強いというよりも大変上手に設計、製作、運用ができたのだと思います。
ただ、初号機が帰ってきたときには、「はやぶさ2」を作り始めていましたので、フィードバックは最低限しかできなかったのです。それでも初号機が出遭った事故と同じものは決して起きないようにやろうと、設計上の工夫はいろいろしました。ですから、その反映が現れた点はあるのですが、それにしても事故の起きない探査機でした。
「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に行って困ったのは、岩だらけで着陸する場所がないことでした。最大の難関でしたが、本当に上手にやりましたね。

―― それは操作の問題ですか。

操作というか、良いチームだったですね。そしてプロジェクト・マネジャーがすばらしかったです。津田雄一君と言いますが、本当にああいうプロジェクトに向いた、良いプロジェクト・マネジャーでした。津田君は人の意見をずうっと粘り強く聞いて、焦らない人でした。
「はやぶさ2」は、幸い時間がけっこうあったので、対策を練る時間がもてたのです。
これに対して、初号機は、小惑星「イトカワ」に行ってから帰るまで予定で3か月しかなかったので、ほとんど考える暇がありませんでした。「はやぶさ」の初号機のプロジェクト・マネジャーは川口淳一郎君でした。その点は川口君の馬力で押し切ったところがあります。
津田君も川口研究室の出身です。性格は対照的ですが、それぞれのミッションに向いた、良いプロジェクト・マネジャーでした。チームが非常によく協力して、よく議論をしてよい対策を取っています。
「はやぶさ2」も決して困難がなかったわけではないのです。3億キロも離れたところで60センチの着陸精度で降りることは、なかなかできないですね。
史上初です。世界中でこんな精度が出たことがない。日本人らしくまじめにミッションに取り組んで、しかも最後コロナ禍があって、その中でも大変がんばったと思いますね。

 

(一部 抜粋)





2021年7月号 目次

 

風のように鳥のように(第139回)
久しぶりの外食/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
「はやぶさ2」の軌跡に思いを馳せる/的川泰宣(宇宙航空研究開発機構名誉教授 はまぎん こども宇宙科学館館長)

世界を見渡せば(第7回)
「ノーと言えないアメリカ人?」/関 美和(翻訳家・杏林大学外国語学部准教授)

特別インタビュー
原子力発電所の40年超運転は安全か/山口彰(東京大学大学院教授)

中東万華鏡(第64回)
アラビア馬(二)/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 理事・中東研究センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第103回)
教育は国防にもつながるのやと思います/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

ドイツでは、今(第37回)
休暇の達人ドイツ人/川口マーン惠美(作家)

温新知故(第28回)
「蒙古襲来」の実像解明につながるか?/斉藤孝次(科学ジャーナリスト)

交差点


 

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