月刊誌 原子力文化 インタビュー

原子力文化2021年03月号 インタビュー(抜粋)

福島の復興の取り組みを世界へ
― 今後は知の交流拠点に ―

福島第一原子力発電所の事故が起きた1週間後から、福島に入られた長崎大学原爆後障害医療研究所教授の高村昇先生。 2011年の事故から10年経過して、今、福島の方々は誰よりも放射線のことを理解しているとおっしゃいます。 この10年で、福島がどのように復興してきたのかをお話しいただきました。 

長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野 教授
東日本大震災・原子力災害伝承館 館長

高村 昇  氏 (たかむら・のぼる)

長崎県長崎市出身。1997 年長崎大学医学部大学院医学研究科卒業後、同大学助手、准教授を経て、現職。2020年より東日本大震災・原子力災害伝承館館長を務める。世界保健機構(WHO)本部技術アドバイザー、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー、福島大学環境放射能研究所副所長、川内村健康アドバイザー等も務める。また、川内村、富岡町や大熊町において帰還する住民に対するリスクコミュニケーションや長崎大学学生等による研究(フィールドワーク)及び復興支援活動に精力的に取り組んでいる。

―― 東日本大震災から10年が経過しました。この10年で大きく変化したことは。

2011年3月11日の東日本大震災に伴い、東京電力・福島第一原子力発電所の事故が起きました。
私は事故の1週間後から福島に入って、県の放射線健康リスク管理アドバイザーという立場で、福島県内を回って、住民の方に放射線と健康影響について講演会で説明しました。
当時は多くの方が、放射線を知らない状況でした。ましてや放射線被ばくと健康影響とはどういうものであるかを知っている方は、ほとんどいませんでした。今まで経験しなかった原子力災害が起き、多くの方がパニック状態の中で講演会に来られて、いろいろな質問を受けました。
何もわからない状態で、突然事故が起き、それから10年経ったのですが、この間、多くの住民は避難を余儀なくされました。
一方で、原子力発電所内の状況を改善するために多くの方が努力をされて、事故が収束に向かおうとする中で、除染が開始されたのです。

―― 除染ばかりでなく、事故で放出された放射性物質自体が時間とともに減っていきましたね。

除染が終わると、住民の方が避難先から帰還するということが始まっていきました。
現在、すでに多くの住民が避難先から帰還した地域もありますが、まだ戻られた方がごく限られたような地域、あるいは全く帰還が始まっていない地域もあるのが現状ではないでしょうか。
この10年間、福島は原子力災害から復興するために、世界でも経験したことがないようなことを、いろいろやってきました。今、おそらく福島の方は世界で一番放射線に詳しいと思います。状況はすごく変わったと思います。
例えば福島県の川内村に行くと、ほぼ日常を取り戻している状態になってきています。
一方、私が館長をしている東日本大震災・原子力災害伝承館がある双葉町は、住民はまだ誰も戻っていない。復興が始まってもいないような状態です。ですから、この10年間で地域によって復興のフェーズが全く違ってきた、というのが、私が一番感じるところです。川内村から双葉町まで車で移動していくと、それがよくわかります。

 

 

(一部 抜粋)





2021年3月号 目次

 

風のように鳥のように(第135回)
しまってあるモノ/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
福島の復興の取り組みを世界へ/高村 昇(長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医  療福祉学研究分野 教授/東日本大震災・原子力災害伝承館 館長)

世界を見渡せば(第3回)
「私たちを踏みつけるその足をどけて下さい」/関 美和(翻訳家・杏林大学外国語学部准教授)

特別寄稿
ベストミックス再考/北村行孝(科学ジャーナリスト)

中東万華鏡(第60回)
パレスチナの象徴とスズキ/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 理事・中東研究センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第99回)
寺子屋方式で人材を育てたいと思ってます/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

ドイツでは、今(第33回)
国家という観念が崩壊?!/川口マーン惠美(作家)

温新知故(第24回)
日本神話ゆかりの地で最古級銅鐸発見!/斉藤孝次(科学ジャーナリスト)

交差点


 

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