原子力文化2018年10月号 インタビュー(抜粋)
しなやかに生きぬく秘訣は
― 挑戦、志、自制心、謙虚そして共感性を ―
世の中への女性進出がまだ困難な時代。住田さんは、司法の道に進み、挫折や苦労を繰り返しながら、今のお立場を築かれていらっしゃいます。本誌では、今の時代をしなやかに生きるためのヒントをお伺いしました。
住田 裕子 氏 (すみた・ひろこ)
東京大学法学部卒業。1979年東京地検検事に任官し、法務省民事局付検事、訟務局付検事、法務大臣秘書官等を歴任。1996年弁護士登録。現在、原子力損害賠償制度専門部会の構成員。NPO法人長寿安心会代表も務めている。
―― 今日は、テレビの出演後、駆けつけてくださった住田さん。いろいろとお話を伺いますので、よろしくお願いいたします。さて、元検事、現在は弁護士として多方面でご活躍中ですが、なぜ、検事を志されたのですか?
実は、法律家を目指した当初は、検事ではなく、裁判官、その前は公務員志望だったのです。長くなりますが、女性の生き方という意味で私の母のことからお話ししましょう。昭和一桁生まれの母は、女性ゆえに大学に行かせてもらえず、長男の嫁となって父とともに家業に汗を流していたのですが、その苦労する背中を見て、私は、女性であっても社会的にも経済的にも自立していたい、そのためには、一生仕事を続けたいと願っていました。といっても女性への社会の壁は厚い。何らかの資格を持たなければと考え、当初は公務員を志望して東京大学法学部を目指すことにしたのです。受験したのは東大闘争で入試が中止となった翌年でした。そして、あえなく不合格。東大を受けるときには、祖父母は「そんなところに行ったらお嫁の貰い手がなくなる」と心配しましたが、父は家のため、母は女性ゆえに高等教育を受けさせてもらえませんでしたから、娘の私の東京での受験を許してくれたのです。しかし、落ちて本当に悲しい思いをさせました。
その翌年、なんとか一浪で合格。そして国家公務員試験の現実も知りました。しかし、公務員試験に合格しても女性を採用する省庁は労働省などわずか。そこで、司法試験受験へと切り換えました。二年間は大学・図書館・居住する女子寮の三点を巡る行動の日々。二回落ちた末、平均年齢程度でようやく合格しました。一生で一番勉強した時代ですね。次なる関門が司法研修所の入所面接でした。そこで裁判官志望を表明すると裁判官の教官から「成績悪いね」との厳しいお言葉。女性を歓迎しないムードをひしひしと感じました。
―― けっこう試験ではご苦労されたのですね。
はい、けっして優等生ではありませんよ。そして研修所において実務修習をする中で、人気のなかった検事を志望するようになりました。なにしろ大学紛争の余韻のある時代で、検事は国家権力の先兵として人気がなく、定員を満たしていなかったのです。しかし、どの時代でも犯罪はなくならないものだから、社会正義のために私がやる、などと甘い考えから希望したのです。
採用されたものの、新任検事の挨拶回りでは、特捜部長から「ここは戦場だ。特捜部に女性はいらない」としょっぱなから洗礼を受けましたし、実際の取り調べでは、涙を流して「私はやっていません」と言う被疑者の嘘を本気にしてしまって馬鹿にされて、の連続。辞めようかと落ち込む毎日でした。結婚したこともあり、上司からも、本気で「辞めたら」と言われましたからね。
(一部 抜粋)
2018年10月号 目次
風のように鳥のように(第106回)
たまには勉強/岸本葉子(エッセイスト)
インタビュー
しなやかに生きぬく秘訣は/住田裕子(弁護士)
特集 ルポ
秋のほっこり☆オススメ☆女子旅~青森県東通村編~
中東万華鏡(第31回)
サウジアラビアの一番長い日/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター 副センター長)
おもろいでっせ!モノづくり(第70回)
深セン女性企業家商会が訪日して来ました/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)
ドイツでは、今(第4回)
お財布を握っているのは誰?/川口マーン惠美(作家)
笑いは万薬の長(第51回)
科学の発展と女性のライフサイクルの変化/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)
交差点