月刊誌 原子力文化 インタビュー

原子力文化2017年9月号 インタビュー(抜粋)

獣医師の仕事はペットだけでない
― 産業動物、公衆衛生、ライフサイエンスを担う ―

獣医学部の新設について、報道が錯綜しています。日本の歴史が始まって以来、これほど獣医学教育が話題にのぼることはなかったでしょう―と、獣医師の資格を持ち、ライフサイエンスや公衆衛生に携わってきた唐木英明さんはおっしゃいます。そもそも獣医師の仕事とは、人数は余っているのか足りないのか……。今月号はそういった話を伺いました。

東京大学名誉教授
唐木 英明  氏 (からき・ひであき)

1941年 東京都生まれ。農学博士、獣医師、(公財)食の安全・安心財団理事長。東京大学農学部獣医学科卒業後、同大学助手、助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員を経て、東京大学教授、同大学アイソトープ総合センター長、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを歴任。『食品の安全評価の考え方』など著書多数。

―― 獣医学部は、なぜ52年間も新設されなかったのでしょうか。1960年ごろから大学への進学率も上がり、さまざまな学部が増えました。歯学部は増えています。医学部も2016年、17年に2つできています。

定員の問題は、獣医師の社会的需要と密接に結びついています。私が東大に入学したのは1960年、獣医学科に進学したのが62年ですが、50年代から60年代初めは、小動物臨床の獣医師はほとんど存在しませんでした。
図を見ていただくのが分かりやすいと思います。

 

―― 今で言うペットですね。

戦後のまだ貧しい時代で、東大獣医学科にも動物病院はありましたが、そこに犬・猫を連れてくるのは外国人とお金持ちと任侠関係の方でした(笑)。
一般の家庭では犬や猫は病気や怪我で死ぬのが運命と考えていて、獣医師に治療してもらうという発想も経済的余裕もなかった。
では、獣医師は何をしていたのか。
一つの大事な仕事が産業動物あるいは大動物臨床で、牛、馬、豚などの家畜の病気の予防と治療です。その前の戦前から戦中までは獣医師の一番大きな仕事は軍馬と農耕馬の健康維持だったのですが、戦後、馬はほとんどいなくなり、わずかな牛や豚が獣医師の対象でした。戦後の混乱期が終わり、高度経済成長期に入って畜産業が盛んになり、この分野の獣医師の仕事が増えました。
二番目の仕事は公衆衛生です。食の安全を守るのは医師の役割だと皆さん思っていますが、実は獣医師がその大きな部分を担っている。
なぜかというと、食中毒の原因は主に二つで、一つはかび、食中毒菌、ウィルスです。もう一つは化学物質で、農薬や食品添加物の使い過ぎで食品に残留すると、問題が起こります。とくに戦後の混乱期には年間1800人以上が食中毒で亡くなったという厚労省の統計もあります。食品の衛生状態の監視や、食品の製造所や小売店、食堂などの衛生状態を監視して食中毒を防止する対策に多くの獣医師が都道府県の公務員獣医師として従事しています。
三番目がライフサイエンス分野の仕事です。その頃、日本も高度経済成長の波に乗ろうとしていて、ライフサイエンス、特に薬の開発あるいは化学物質を使った製品の開発がさかんに行なわれ、その効能や安全性の確保のために動物実験が必要になってきました。特に製薬会社にはそれまで効能の研究所はあったのですが、副作用の研究所はなかった。サリドマイド事件以降、製薬会社は一斉に副作用研究所をつくった。ただ、「副作用研究所」では聞こえが悪いから、どこも「安全性研究所」という名前で多くの獣医師を採用しました。私も実は卒業後ある製薬会社に就職することになっていたのですが、東大で助手に採用され、企業には行きませんでした。
私が獣医学科を卒業した60年代はこのような状況で、産業動物と公衆衛生とライフサイエンスの三つの分野に、獣医学科卒業生全員が就職をしていました。

 

(一部 抜粋)




2017年9月号 目次

 

夜中の警告(第93回)
手放す心得/岸本葉子(エッセイスト)

インタビュー
獣医師の仕事はペットだけでない/唐木英明(東京大学名誉教授)

追跡原子力
・秋の味覚に放射線も貢献している
・何がわからないかがわからない

中東万華鏡(第18回)
人面樹の謎/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター 副センター長)

おもろいでっせ!モノづくり(第57回)
夢の続きはタイの空に羽ばたくことです/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)

客観的に冷静に(第58回)
寺田寅彦随想 その29/有馬朗人(武蔵学園長)

笑いは万薬の長(第38回)
たばこのリスク/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)

交差点

ページの先頭へ戻る