原子力文化2015年5月号 対談(抜粋)
戦後70年の日本を考える(下)
― 電気は民主主義と生命の元である ―
落雷で、手術中に停電すると必要な機器がすべて使えなくなる。
アフリカのマダガスカルで、医師たちの子供を治療するプロジェクトの支援に同行した曽野綾子さんのお話です。
そして生命はもとより民主主義までも機能しなくなるとのこと……。
今月は、先月に引き続き、曽野さんと橋本さんにお話願いました。
橋本 五郎 氏 (はしもと・ごろう)
1946年 秋田県生まれ。論説委員、政治部長、編集局次長などを歴任。2006年から現職。報道・情報テレビ番組での解説者としても好評を博している。東日本大震災復興構想会議では委員を務めた。2014年度日本記者クラブ賞を受賞。『範は歴史にあり』『「二回半」読む』『総理の器量』『総理の覚悟』など著書多数。
曽野 綾子 氏 (その・あやこ)
東京都生まれ。幼稚園から大学まで聖心女子学院で学ぶ。『三田文学』に書いた「遠来の客たち」が芥川賞候補となり、23歳で文壇にデビュー。翌年、作家・三浦朱門と結婚。以後、精力的に作品を発表。クリスチャン作家としても有名。79年ローマ法王よりバチカン有功十字勲章を受章。最近作に『老いの冒険』『端正な生き方』などがある。
一木一草に神さまが宿っていて、神棚と仏さまが同居している。これは一方で日本人は宗教心が薄い、軸がない、という言い方ができるかもしれません。
ですが、いろいろな神さまが共存し得る社会と、世界にはむしろ、この神しかないという社会が多いことを考えたときに、宗教的な力強さという点で物足りないかも知れませんが、いろいろな宗教を許容する社会の方が、しなやかさはずっとあるような気がします。
私は聖心というカトリックの学校で育ちました。受け持ちには日本人の先生がいらっしゃるのですが、イギリス人、フランス人、ドイツ人、イタリア人などのシスターから教育を受けたのです。
まず教わるのは、仏陀やムハンマドという信仰の対象を侮辱してはいけない。それから「その信仰の周辺に対しては十分な尊敬を払って行動しなさい。あなたたちはたぶん神道か仏教の家にお嫁に行きます。
そうしたら、一番先にお仏壇や神棚をきれいにして差し上げて、お義母さんなり何なりの幸福を願いなさい」と。
それからもう一つは「ある宗教の信者の中には悪いことをする人がいるかもしれない。その一事をもってその信仰を判断しないように」と。小学校のときから習ったのです。そのとおりだと思います。
一木一草が神、仏だとは習わないのですが、すべてのものは神がおつくりになって、それをよかれと思って与えて下さった。だから菜っぱ一枚でも羊一匹でも大事にいただいて命にしなければいけない、と習う。矛盾はありません。
カトリックでは「我々は神の道具だ」と教わるのです。道具と言うと、日本人は「人を道具とは」と怒るのだろうと思いますが、そうではなくて使命をもった存在なのです。
例えば、俳優の森繁久弥、菅原文太、勝新太郎、それぞれにキャラクターがあって、見合う役をするのがよかった。
それと同じように、ノーベル賞をおもらいになる方と、マイケル・ジャクソン、テニスの名プレーヤー、それぞれの役割は違うのです。それぞれに楽しませてくれる。そして、それを全うしていただかなければいけない。それが私たちの任務でしょう。
本当にかなわない、尊敬できる人は必ずしも社会的地位と関係ない
私は読売新聞の浜松支局に5年いたのですが、そこの漁師さんは夕方、浜名湖の浜辺で、明日の天気を当てるのです。天候を見るのは、彼らにとっては生活に関わる大変なことです。その後姿を見ていると、本当に神々しいまでにすごいと思いました。
また曽野綾子が差別するのか、と言われるかもしれませんが、職人として成り立つ国民とできない国民があるような気がします。人類学者や遺伝学者に教えていただきたいと思いますが、向かない人もいるんですね。
それも差別だと言われたのではどうしようもありません。区別と差別とは違うのです。
(一部 抜粋)
2015年5月号 目次
風のように鳥のように(第65回)
タッチの前に/岸本葉子(エッセイスト)
対談
戦後70年の日本を考える(下)/橋本五郎(読売新聞東京本社・特別編集委員)× 曽野綾子(作家)
まいどわかりづらいお噺ですが
宇宙エレベーターで宇宙旅行を楽しみましょう
いま伝えておきたいこと(第41回)
本当の障害/高嶋哲夫(作家)
おもろいでっせ!モノづくり(第29回)
井戸の中の蛙になれという話もあります/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)
客観的に冷静に(第31回)
寺田寅彦随想 その2/有馬朗人(武蔵学園長)
笑いは万薬の長(第10回)
ナイチンゲールと統計学/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)
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