原子力文化2016年9月号 インタビュー(抜粋)
プラスチックが光れば世界が変わる
― 白色光に方向転換したのは失敗の重要性に気づいて ―
世界で初めて白色有機ELを研究開発した城戸淳二さんは、大学のある山形で、地元企業と連携したり、高校生のために塾を開いたりしています。
なぜ学内に留まらず、地域や学生との交流を試みていらっしゃるのでしょうか。工学部のある米沢市を訪れて、お話しを伺いました。
城戸 淳二 氏 (きど・じゅんじ)
1959年 大阪府生まれ。有機デバイス工学専攻。早稲田大学理工学部卒業後、米ニューヨークポリテクニック大学大学院に留学。その後、山形大学工学部助手、米ブルックヘブン国立研究所客員研究員、山形大学工学部助教授、機能高分子工学科教授などを経て、2010年から現職。その間、93年に白色有機ELの開発に成功する。13年に紫綬褒章を受章。『有機ELのすべて』『学者になるか、起業家になるか』などの著書がある。
―― 家電業界は今、シャープが鴻海の傘下になった。三洋電機はパナソニックの子会社になるなど、国内外を越えて合従連衡の時代となっています。現状をどうお考えですか。
情けない。家電というマーケットはなくなったのではないです。
でも、やり方が今までどおりやっていたからだめなのです。例えば、サンヨーの技術者をアイリスオーヤマが雇い入れて、家電は利益を上げています。それからダイソンのような高級家電があります。
マーケットはあって、新しいものはまだまだ生み出せるのに、そこが今の家電メーカー、元家電メーカーに足りなかったところではないかと思います。
日本の場合、何社も家電メーカーがあって、例えば掃除機はこうあるべきだなどと……同じようなものをつくって、みんなだめになっていく。それを繰り返しています。そこから全く学んでこなかったのが最大の原因です。
特に今は黒船がやってきたような状態で、今までは島国で4社、5社が仲良くやっていましたが、それができなくなったとたんにつぶれてしまった。
自動車業界で言うと、ニッサンがいい例で、ゴーンが来たとたんV字回復していく。今までの大企業の経営者は考え直したほうがいいのではないか。あるいはアメリカのように株主が経営者を替えていく。そうならないと日本の大企業はすべて淘汰されてしまいます。
―― メーカーそれぞれの能力は高いと思いますが。
ノーベル賞受賞者はアジアで断トツですし、基礎研究から応用研究、あと実用研究までいまだに強いです。そこから製品化して市場を取るところが下手です。最後の一押しが足りません。
また投資のタイミングと規模が全部後手後手に回って、市場を取られて終わっています。それは、やはりサラリーマン社長の限界でしょう。
オーナーがいる韓国のサムスンでもそうでしょう。オーナーの血のつながった人、オーナーの意志を継いでいる人が社長であるうちはまだいいですが、三代目、四代目になってくるともうだめです。
台湾の鴻海でもそうでしょう。テリー・ゴウがいなかったら、あの会社はまずないし、彼が今いなくなったら継げる者が一人もいないです。
そういう会社は怖いと思います。はっきり言って技術力を持ってない。そうすると、中国に元気な会社ができてきたとたんに、負けるでしょうね。
―― 先生は今、白色有機ELを研究開発なさっていますが、もともとは日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)などでお仕事を。
学部のときの卒業研究のテーマで、「城戸君には希土類の研究をやってもらおう」(笑い)と言われて……。希土類って何だろうと思ったら、周期表の下のほうに並んでいる欄外にユウロピウムやテルビウムやサマリウムというのがありました。
なぜそういうものを扱うかというと、あの頃、所属していた研究室が群馬県高崎市の原子力研究所と共同研究をやっていて、放射性廃棄物にある放射性の金属イオンなどを水溶液から選択的に回収する。いわゆるイオン交換樹脂の開発をするというテーマです。
放射性の物質は大学では扱えないので、人工放射性元素のアクチノニドに性質が非常に似たランタノイド、その中でも私の場合はサマリウムイオンですが、サマリウムイオンを、例えば銅イオンなどと混ぜて、その中から選択的にそれだけを吸着する。
そういったイオン交換樹脂をつくるのに電子ビーム照射やガンマ線照射を使ったのです。
ポリエチレンの樹脂の表面を修飾してイオンを捕獲するために、照射装置を使いに月に一度、高崎で実験をやったのです。
私はもともと化学はあまり好きではありませんでした。暗記科目的だし、「何で周期律表なんて覚えなあかんのやろ」と思っていて……。
物理派だったのですが、原研に行ったらプールがあって、そこに放射線源が漬けてあって、ボワーッと青く光っていた。「すごいところに来たな」「電子線照射、何だ、これ。何だ、これ」と思って、実験自体が楽しくて。それからだんだん新しい物質をつくり出す、という化学の本来の姿、面白さに目覚めて、「材料屋になる」と、化学の道を突き進んできたのです。高崎の原研に行った一年間の経験は、すごく大きかったと思います。
(一部 抜粋)
2016年9月号 目次
風のように鳥のように(第81回)
コードにつまずく/岸本葉子(エッセイスト)
インタビュー
プラスチックが光れば世界が変わる/城戸淳二(山形大学有機材料システムフロンティアセンター卓越研究教授)
追跡原子力
・復興までの道のり
・EUを離脱するイギリスのエネルギー政策は
中東万華鏡(第6回)
チェスの話(後)/保坂修司(一般財団法人日本エネルギー経済研究所 研究理事・中東研究センター 副センター長)
おもろいでっせ!モノづくり(第45回)
藤吉郎のような視点がありますか/青木豊彦(株式会社アオキ取締役会長)
客観的に冷静に(第47回)
寺田寅彦随想 その18/有馬朗人(武蔵学園長)
笑いは万薬の長(第26回)
県外避難者動向からの考察/宇野賀津子(公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターインターフェロン・生体防御研究室長)
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